大貫美恵子

日本の軍隊の伝統には独特な要素があった。例えば、ドイツ軍では「敵を殺せ」とまず命じられたが、日本軍は殺すこと以上に死ぬことの大切さを説いた。この日本軍の自分たちの兵士に対する残虐性は、19世紀後半の近代化の初期段階においてすでに顕著に現れている。1872年に発令された海陸軍刑律は、戦闘において降伏、逃亡する者を死刑に処すると定めた。もちろん良心的兵役拒否などは問題外であった。軍規律や上官の命令に背くものは、その場で射殺することが許されていた。さらに、江戸時代の「罪五代におよび罰五族にわる」という、罪人と血縁・婚姻関係にある者すべてを処罰する原則と同様に、一兵士の軍規違反は、その兵士のみならず、彼の家族や親類にまで影響をおよぼすと恐れられていた。個人の責任を血族全体に科し、兵士個人に社会的な圧力をかけることで、結果的に規律を厳守させていたのである。この制度によって、兵士の親の反対を押さえつけ、兵士による逸脱行為はもちろんのこと、いかなる規律違反も未然に防止できたのである。さらに、警察国家化が急激に進むにつれて、1940年代までに、国家の政策に批判的な著名な知識人や指導者が次々と検挙・投獄され、国家に反する意見を公にすることは極めて困難になった。